ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン東日流外三郡誌(2)縄文の楽園は「盗まれた」──邪馬台国の真実に迫る

ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン 2026.04.16

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#893-471

 

 

不安や恐れのない皆んなが

安心して幸福に暮らせる社会

 

 

 

地球に優しい循環型システム

エコタウン創りに邁進する

 

 

 

青森の未来を考える会

代表の姥澤(うばさわ)です✨️

 

 

 

 

前回は、縄文時代の東北に

阿蘇部族(あそべぞく)

津保化族(つぼけぞく)という

誇り高き先住民族が

 

 

 

豊かな文明を築いていた

というお話をしました📖

 

 

 

 

東日流外三郡誌(1)縄文の記憶が語りかけてくる〜『謎の東日流外三郡誌』を読む

 

 

 

 

今回はその縄文の世界が

どうなっていったのか?

 

 

 

 

「盗まれた邪馬台国」

の話です。

 

 

 

 

縄文末期、

岩木山が大噴火します🌋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食糧危機が東北を直撃し、

阿蘇部族の多くが死亡。

 

 

 

生き残った人々は

津保化族に吸収されるか、

山奥に逃れました。

 

 

 

こうした混乱の中で

縄文文化はゆっくりと

その輝きを失っていきます。

 

 

 

そこへ現れたのが

稲作を持つ日向族です🌾

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弥生文化大革命」

著者はそう呼びます。

 

 

 

 

稲作は単なる食料増産ではなく

余剰生産物の蓄積

権力の集中をもたらしました。

 

 

 

縄文的な

「みんなで分かち合う社会」から

「支配する者・される者」の社会へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その転換点を

「東日流外三郡誌」は

克明に記録しているんです📜

 

 

 

 

 

さて、ここで登場するのが

邪馬台国(やまたいこく)

 

 

 

でも著者の解釈は独特です🤔

 

 

 

 

「邪馬台(ヤマト)というのは

「山間処(やまのあいだのところ)

 

 

 

つまり山の中の集落や

連合国家を指す普通名詞

だったというんです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特定の一国家ではなく、

縄文末期から弥生初期にかけて

 

 

 

各地に存在した部族連合体の

総称だったと。

 

 

 

これは今でも議論の的ですが

「ヤマト=大和(奈良)」という

固定観念に揺さぶりをかける

視点として面白いですよね💡

 

 

 

 

そして東北の邪馬台連合を

守っていた英雄が登場します。

 

 

 

長髄彦(ナガスネヒコ)と

安日彦(アビヒコ)の兄弟です⚔️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記紀(日本書紀・古事記)では

「逆賊」として描かれる長髄彦を

 

 

 

 

「東日流外三郡誌」は

正統な邪馬台国の守護者

として位置づけます。

 

 

 

 

彼は日向族=神倭朝の東征に対して

7年もの間戦い続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平和的な交渉を試み、

外国勢力(大陸の援軍)の介入を

売国行為として拒否した

平和主義者でもあったと。

 

 

 

 

しかし最後は敗れます😢

 

 

 

 

長髄彦は戦死し、

弟の安日彦は東北(東日流)へと

落ち延びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「敗走」が

東北の歴史観の根っこにある

「逆賊に天下を取られた」

という意識の源泉です。

 

 

 

 

勝者(神武天皇・日向族)

書いた歴史が「正史(記紀)」となり、

 

 

 

 

敗者の真実は

津軽の土蔵の奥に

ひっそりと眠り続けた。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが「東日流外三郡誌」の

正体だというわけです。

 

 

 

もちろんこの文書については

「江戸時代以降の偽書ではないか」

という学術的な論争があります🔍

 

 

 

 

和田家文書問題として

今も決着はついていません。

 

 

 

 

でも私が注目するのは

「本物か偽物か」という二択よりも、

 

 

 

 

 

東北の人々が何百年もの間

「自分たちにも誇るべき歴史がある」

という記憶を守り続けてきた

という事実そのものです。

 

 

 

 

青森という地は

ずっと「辺境」として

扱われてきました。

 

 

 

 

でも縄文時代の三内丸山遺跡や

亀ヶ岡文化が示すように、

 

 

 

 

この大地には

世界に誇れる文明の厚みがあります✨

 

 

 

 

「勝者の歴史」だけが歴史ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東からの視点で

日本の古代を問い直すこと

 

 

 

 

それが青森に生きる私たちへの

一つのメッセージかもしれません。

 

 

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございます😊

 

 

 

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