ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン東日流外三群誌Ⅱ_盗まれた邪馬台国(4)〜安日彦・長髄彦の抵抗と東征の真実
ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン 2026.05.19
#926-504
不安や恐れのないみんなが
安心して幸福に暮らせる社会
地球に優しい循環型システム
エコタウン創りに邁進する
青森の未来を考える会
代表の姥澤(うばさわ)です✨️
前回までのつづき
今回は
「日向一族の邪馬台侵攻」の後半、
安日彦・長髄彦兄弟の抵抗と
神武天皇のお話です💡
当時の日本──
耶馬台五十七カ国連合
低い生産性の縄文農耕から
生産性の高い”稲作”

邪馬台一族にとっては
救世主のような技術だった。
その稲作のノウハウを握る
日向族は勢力を拡大していくことになります。
日向族の反乱=東征に対して
邪馬台側も警戒します。
安日彦と長髄彦の兄弟は
日向軍の東征に対して
各地で兵を集め、
徹底的に戦いを挑みます。

しかし、長髄彦の妹が
日向族の名門・饒速日尊(にぎはやひのみこと)
に嫁いでいたという複雑な事情もあって、
和平か、戦か
という難しい立場に立たされていた。
そして、
戦いは長期化していきます。

長髄彦は重傷を負いながらも生き延び、
安日彦は越の国(現・福島県あたり)へ。
そして二人は会津 で
再び合流しました。

ここで面白い話があります💡
「会津」という地名の由来——
それは、安日彦と長髄彦の
兄弟が出会った場所
という故事から生まれた、
と『東日流外三郡誌』は
伝えているんです。
「会う津(みなと)=会津」

教科書には載っていない
地名の起源が、
この古文書には
記されています。
記紀(古事記・日本書紀)では、
長髄彦はここで戦死したことになっています。
でも『三郡誌』の伝承はちがう。
二人の兄弟は
ともに生き延びて、
会津からさらに北へ
東北・津軽をめざして
旅を続けたというんです。

勝者が書いた歴史と、
敗者が語り継いだ記録。
日向族を率いて
東征したその指導者が、
後の「神武天皇」で、
日本を建国し、
現在までつづく
世界最古の国「日本国」
に至るわけです。

歴史のさまざまな角度から
見ていくと面白いですよね💡
最後までお読みいただき、
ありがとうございます😊







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