ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン東日流外三群誌Ⅱ_盗まれた邪馬台国(2)「ヤマト」はひとつじゃなかった!〜山間処・連合が邪馬台
ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン 2026.05.17
#924-502
不安や恐れのないみんなが
安心して幸福に暮らせる社会
地球に優しい循環型システム
エコタウン創りに邁進する
青森の未来を考える会
代表の姥澤(うばさわ)です✨️
今日も『謎の東日流外三郡誌』シリーズ
続けていきますよ〜!
前回は縄文末期の
食糧危機のお話でした。
今回はいよいよ
「ヤマト=邪馬台国とは何だったのか?」
という核心に迫っていきます💡
突然ですが、
ひとつ質問です。
「邪馬台国はどこにあったか?」
九州説?近畿説?
長年にわたって繰り広げられてきた
あの大論争のことですね〜。

でも三郡誌は、こう言うんです。
「その問い自体が的外れだ」 と。
「ヤマト(耶馬台)」というのは、
実は固有名詞ではなく普通名詞だった。
「山間処(やまと)」
つまり山に囲まれた盆地や高原の集落のことを、
当時の人々はそう呼んでいたんですね。

大和(奈良)の
飛鳥・奈良はもちろん、
小京都と呼ばれるような山間の集落が
日本各地にいくつも存在していた。
だから「ヤマト」は
そこかしこにあった。
特定の一か所を探すこと自体、
そもそも意味がなかったわけです😲
では、その「ヤマト連合」の
中心にいたのは誰か?
三郡誌によれば、
それは
長髄彦(ながすねひこ)と
安日彦(あびひこ)の兄弟。

縄文末期から
弥生初期にかけて、
東北から畿内まで
各地の部族が割拠する中で、

この兄弟が
五畿七道を東西に分けて統一し、
「山間処連合=ヤマト」の
トップに立っていたというんです。

そこへ、九州から
新たな勢力が台頭してくる。
それが
日向族(ひゅうがぞく)。
日向族が持っていた
最大の武器、それは稲作 🌾

縄文の狩猟採集と比べると、
稲作の食料生産力は圧倒的です。
同じ土地から、
何倍もの人口を養える。
食糧危機に
苦しんでいた縄文の世界に
稲作という「革命」が
持ち込まれたことで、
日向族は一気に
力をつけていった。

これがのちに
「弥生文化大革命」と呼ばれるほどの
大変化だったんですね。
こうして
縄文系ヤマト連合(長髄彦・安日彦)
vs
稲作を持つ日向族(のちの神武)
という、日本古代史
最大の対立構図が
生まれていくことになります。

「ヤマト」は一か所にあった
国じゃなかった。
それは山に囲まれた地に暮らす人々が
つながり合った連合体の総称だった。
東北・青森の地もまた、
その「ヤマト」のひとつだったかもしれない
そう思うと、
なんだか胸が熱くなりませんか?

私たちの足元の大地にも、
深い深い歴史が眠っているんですよね。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます😊







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