ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン『日本の金融の仕組み』④〜プラザ合意という分岐点

ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン 2026.07.17

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#985-563

 

 

 

不安や恐れのないみんなが

安心して幸福に暮らせる社会

 

 

 

地球に優しい循環型システム

エコタウン創りに邁進する

 

 

 

青森の未来を考える会

代表の姥澤(うばさわ)です✨️

 

 

 

 

『日本の金融の仕組み』③〜「失われた30年」は、誰が失ったのか?

 

 

 

 

 

シリーズ第4回。 

第1章の最終回です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、すべての起点となった

たった一日の話をします📅

 

 

 

1985年9月22日

 

 

 

ニューヨークのプラザホテルに、

5つの国の代表が集まりました。 

 

 

 

日本、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ。

そこで決まったこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ドルを、下げましょう」

これがプラザ合意です。

 

 

 

なぜ、そんなことを?

 

 

 

当時のアメリカは、

強いドルと高い金利で

世界のお金を集めていました。 

 

 

 

でも

ドルが強すぎると

困ることがある。

 

 

 

アメリカ製品が、

海外では高くなりすぎるのです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輸出は減り、

貿易赤字はふくらむばかり。

 

 

 

一方、日本と西ドイツは、

輸出で黒字を稼ぎ続けていました。

 

 

 

「では、あちらの通貨を上げてもらおう」

 

 

 

 

そういう合意でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、その翌週。

金曜日の終値は、

1ドル240円ほど。 

 

 

 

明けて月曜の朝、

市場を見た人たちは目を疑います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20円ほど、

飛んでいた。

 

 

 

そして、

そこから止まらない。

 

 

 

 1年たたずに 150円 

 2年で 120円 

 10年後の1995年には 79円台

 

 

 

10年たたずに、ドルの価値は

およそ3分の1になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが何を意味するか?

 

 

 

たとえば、

200万円の車があるとします。

 

 

 

1ドル200円のとき、

海外では1万ドルの車。

 

 

 

 1ドル100円になると

同じ200万円なのに、

2万ドルの車になってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作り方も、品質も、値段も、

何も変えていないのに。 

 

 

 

ある日突然、

倍の値段になってしまったのです😨

 

 

 

 

輸出で生きてきた企業にとって、

これは悪夢でした。

 

 

 

寝耳に水、という

言葉がありますね。 

 

 

 

でも、寝ている間に見るのは、

ふつう夢のほうです。

 

 

 

朝、起きてみたら悪夢だった

大西つねきさんは、

当時をそう振り返っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして日本は、

この後、二つの道を歩みます。

 

 

 

ひとつは、バブル 

 

 

 

もうひとつは、

その崩壊のあとに始まった、

あのコストカットの30年

 

 

 

たった一日の合意が、 

そこから40年の暮らしを形づくった。

 

 

 

そう考えると、

少し不思議な気持ちになりませんか?

 

 

 

ここまでが第1章。 

「日本は、本当に貧しいのか?」を見てきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回からは第2章。 

いよいよ、お金そのものの正体に踏み込みます😊

 

 

 

最後までお読みいただき、

ありがとうございます✨️

 

 

 

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