ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン上勝町のゼロ・ウェイストに学ぶ①捨てない暮らしの原点〜野焼き時代
ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン 2025.12.05
#755-333
不安や恐れのない全ての人が
幸福に生きられる社会
地球に優しい循環型システム
エコタウン創りに邁進する
青森の未来を考える会
代表の姥澤(うばさわ)です✨️
【第1回】自然に還す暮らし〜野焼き時代
上勝町ゼロ・ウェイストの
歴史から学ぶこと
循環するエコタウン構想を
板柳町で進めるうえで、
どうしても学んでおきたい
“先輩の実践例”があります。
徳島県上勝町
日本で初めて
「ゼロ・ウェイスト宣言」
を掲げた町です。
今回から4回シリーズで、
その歩みを辿っていきます。
第1回は
「捨てない暮らしの原点〜野焼き時代」
■ 昔の暮らしは“循環”そのものだった
昔の上勝町は、
ほぼ自給自足の生活だったそうです。

必要なものは山で採れた
木や竹で作り、
壊れれば修理し、
最後は薪として燃やしたり土に還していく。
生ごみは家畜のエサや
畑の堆肥になり、
新聞紙は商店の包装材、
紙くずだって焚き付けに。

金属やガラスは
買い取り回収があって、
町の中で自然と循環していた。
“捨てるものがほとんどない暮らし”が、
当たり前に成り立っていたんですね。
この感覚、今の私たちが目指す
循環型社会の原点そのものです。
■ 戦後の大量消費が、暮らしを変えてしまった
しかし、戦後の高度経済成長で
プラスチック製品が全国に広まります。

便利で安い品物が
増える一方で、
「使い捨て」という
新しい文化が町にも入り込みました💧
そして処理しきれなくなったごみは、
庭先で燃やすのが当たり前に。
1975年頃には、
現在ゴミステーションがある
日比ヶ谷で大規模な野焼きが始まり、

タンス、布団、タイヤ、家電、車まで……
何でも火にかけていたそうです。
黒い煙が昼夜立ち上り、
悪臭もひどい。
それでも“他に方法がなかった”
というのが当時の現実でした。
「便利さと引き換えに、何を失ったのか?」
そんな問いが突き刺さります。
■ 最初の一歩は“生ごみ対策”
上勝町がごみ問題に
向き合い始めたのは1991年。
まず着手したのは、
生ごみでした。
ごみ袋の中で
最も重いのは生ごみ。

これを家庭で処理できれば、
ごみの匂いは減り、運搬も軽くなる。
町はコンポスト購入を補助し、
電動生ごみ処理機にも補助を広げました。
当時8万円した処理機が、
わずか1万円で買えたのです。
この政策のおかげで、
生ごみの持ち込みがほぼゼロになり、
今の上勝のゴミステーションには
ごみの匂いがまったくない
と言われるほどに。
循環の第一歩は、
いつの時代も“生ごみ”から始まる
これは板柳町でも
全く同じだと痛感します。
■ 野焼き脱却へ「リサイクルタウン計画」
1994年、
野焼きの限界が訪れます。
環境問題が注目され始め、
法規制も強まり、
「このままではいけない。
でも新しい焼却炉を建てるお金はない」
そこで町は知恵を絞り、
「ごみを減らすしかない」と決断!
リサイクルタウン計画を策定し、
1997年には
日比ヶ谷ゴミステーションを正式に開設✨️

缶・びん・ペットボトルなど、
9分別を始めました。
最初は戸惑う町民も
多かったそうですが、
役場の職員が集落を
一軒一軒まわり、
一緒に分別しながら丁寧に説明。

“地域ぐるみの挑戦”として
進んでいったのです。
■ 今の私たちが学ぶべきこと
上勝町の歴史を振り返ると、
こんな気づきがあります。
ごみ問題は、設備投資より
「しくみ」と「人の理解」が先。
そして、
一歩目は家庭の生ごみから。

これは、私たちが進める
「循環するエコタウン構想」の
考え方とも完全に重なります。
「昔のように自然に還す暮らしを、
現代の知恵で取り戻す」
この視点を、板柳町でも
大事にしていきたいと思います。

最後までお読みいただき、
ありがとうございます😊







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