ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン東日流外三群誌Ⅱ_盗まれた邪馬台国(1)縄文時代の終わりに起きた「食糧危機」と日本人の大移動
ミロクの扉を拓く〜未来の社会デザイン 2026.05.16
#923-501
不安や恐れのないみんなが
安心して幸福に暮らせる社会
地球に優しい循環型システム
エコタウン創りに邁進する
青森の未来を考える会
代表の姥澤(うばさわ)です✨️
『謎の東日流外三郡誌』の
考察シリーズ
縄文時代末期の話
「縄文時代の終わり頃、日本列島では深刻な食糧危機が起きていたのではないか?」
という話です。
縄文時代というと、
自然と共に穏やかに暮らしていた
イメージがありますよね💡

木の実を採り、魚を獲り、
狩りをして生きる。
争いも少なく、
平和な時代だったと言われています。
しかし、実際には
縄文時代の末期に、
気候変動や寒冷化、
大規模な火山活動などが重なり、

人々の暮らしを支えていた
自然環境が大きく変化した
可能性があるそうです。
特に東北地方では、
縄文遺跡が急激に減っている地域もあり、
「人口そのものが減ったのではないか」
とも考えられているようです。
もし山の木の実が採れなくなり、
動物も減り、魚も獲れなくなったら…。

今の私たちなら
スーパーへ行けば手に入りますが、
当時の人々にとっては、
生きるか死ぬかの問題だったはずです。
その中で、人々は
「安定して食べ物を確保する方法」
を求め始めます。
それが、
稲作だったのかもしれません。

縄文時代までは、
“自然からいただく暮らし”でした。
しかし弥生時代になると、
“人間が食糧を管理する社会”
へ変わっていきます。
米を育て、蓄え、
土地を守り、集団で管理する。

そこから、村ができ、
権力が生まれ、
争いも始まっていった。
つまり、
日本の古代国家の始まりには、
「食糧問題」が深く関係していた
可能性があるということです。

現代も、世界では
食糧価格の高騰や気候変動、
異常気象が続いています。
歴史を見れば、
人類は何度も「食糧危機」に直面し、
そのたびに社会の仕組み
そのものを変えてきました。
そう考えると、
今の時代もまた、
大きな転換点なのかもしれません🌀

便利さだけを
追い求めるのではなく、
「自分たちは、どうやって食べて生きるのか?」
を、もう一度考える時代に
入っている気がします。

昔の人たちが
必死に生き延びたように、
私たちもまた、
“本当に大切なもの”を見直す時期に
来ているのかもしれません。
最後までお読みいただき、
ありがとうございます😊







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