なぜ、木のはこ屋なのか?

2018.03.24

 
 
From:姥澤 大
 
なぜ、木のはこ屋なのか?
それは、私が箱屋の三代目だから。
 
と言っても、箱屋が三代続いているわけではなく、ウチの祖母が創業した時は木箱を作るための
木取り材(木箱の材料)を販売するお店でした。
 
当時はまだダンボールが珍しい時代で、農産物やモノを運ぶ入れ物は木箱が主流。
 
青森りんごも、この木取り材を農家の人達が釘で打って作ったりんご箱(木箱)に入れ、駅から貨車に積み、全国に発送されました。今のダンボールに相当する量が木箱だと考えると、途方もない量の木取り材が使われることになりますが、当時は製材所も今の倍以上の数があり、毎日のように木取り材が入荷して、倉庫が山積みになっていたようです。

 

 

 

公益財団法人 青森県りんご協会

  
 

木箱からダンボールへ

「みかん」は皮が厚く、キズがつきにくいこともあってダンボールに切り替わるのが早かったんですが、「りんご」は外部からの衝撃でキズが付きやすく、木箱にモミガラを入れて緩衝材にしていたくらいなので、ダンボールへの切り替えが遅かったようです。
 

祖母から父の代になって、ダンボールを販売するようになります。
木取り材での成功体験からか、祖母はダンボールの販売に猛反対したようです。
 

木箱は徐々に使われなくなり、「りんご」の包装もダンボールに切り替わっていく。
祖母とケンカしてでも導入に踏み切った父の判断は正しかった。
 

ただ、「りんご」は冷蔵庫に貯蔵して一年中を通して供給する国内唯一の果物。
りんご箱は出荷箱としての役目は終わったが、貯蔵箱として細々と生き残っていきます。
 

公益財団法人 青森県りんご協会

 
 
産地市場の台頭

弘果弘前中央青果など産地市場が台頭してきたことにより、市場に上場するための箱が求められるようになる。完成品の木箱の需要が急増し、それに対応するため、ウチの会社は「箱屋」になっていきます。

 
創業した祖母が「木取り屋」で、父が「資材屋、箱屋」に転換して、私で三代目。
歴史を振り返ると、その時代に合わせて業態も変化しています。祖母の時代のまま、変わらず商売をしていれば、とっくに会社はなくなってるでしょう。
今を取り巻く環境も父の時代とはまた違ってきています。
 

 
ダーウィンの言葉?  

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である」
 
 

ダーウィンの金言として有名な言葉でもありますが、実際には著書などにこの言葉は残っていないらしい。ただ、格言としてとても力強く、魅力的なメッセージです。

 
 
やはり、その時代・環境に適応して、変化できる者にならないといけませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。